事業シナジーの追求が目的達成の手段となる

「バランス経営」実践の道のり<1>

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 例の「たこ焼き」生産ですか。

 それは、もうちょっと後のことです。当時の発電機は一台ごとに手間ひまかけた個別受注製品でしたが、私はその生産方法に疑問を感じていました。発電機といえども、個別に仕様書をつくり設計して生産するのではなくて、標準化できる部分があるのではないか、と現場で試行錯誤を始めていました。

 そして「たこ焼き」生産に思い至るわけです。関西(神戸)に工場があったので、「たこ焼き」という表現は、現場がイメージしやすいのです。たこ焼きは、手順が明快な割に、ちょうどいい頃合いでひっくり返すといったスキルがないとうまくつくれません。スキルといっても、コツをつかみ数をこなせば、結構均質なものが仕上がります。

 たこ焼きに例えれば、発電機の製法をガラッと変える仕組みもわかりやすい。そこで、現場で設計思想を伝える際、関西人だったら誰でも実感としてわかる「たこ焼き」と表現したわけです。

 歴代社長のわかりやすいメッセージを発信する路線にも乗っていますね。

 最初はどう感じたかわかりませんが、現場が直観的に理解できなければうまくいきません。悩まなくてもつくれるようなものにしよう、という意図を繰り返し強調しました。

 現場は、判断に迷ったり、悩んだりすることが多いですよね。

 そうなのです。だからそういうことがないようにしたかった。2000年にアメリカの大手企業から発電機の大量受注をした時のことです。同じものを50数台つくると、原価が劇的に下がっていく。それは、現場の人たちが必死になって考えてものづくりに取り組んでくれた成果でした。

 それまで私たちは、設計のコストダウンに集中していたのですが、設計部門で製品ごとのコストダウンを考えるよりも、同じ設計の部品を生産ラインに流しておいて、生産現場の人たちの改善に任せるほうが、トータルコストは大幅に下がるということを、当時、実証したんですよ。その経験は、実に多くのことを教えてくれましたね。

 それまでに、50数台も量産するという経験はなかったのですか。

 残念ながら、ありませんでした(笑)。個別設計に近いものばかりをつくっていました。量産の1号機を出荷したのは2001年12月で、契約はその1年前です。発注側のアメリカ企業から製造図面をもらって、当社の工場の生産ラインに流せる形に展開して、すべての材料を自分たちで調達できるものに置き換えるため、そのつど相手の承認を得ながら進めました。発注側は、納期延期を予測していたようで、私たちが1年後に納品した時は驚いていました。

 その後で、「床面積当たりの生産性を上げよう」とスローガンを打ち出されました。

 そうです。ちょうど全社的な生産性改善を始める時期でした。でも工場の班長たちに、納期やリードタイムや在庫と言っても伝わりにくい。ですから、「わかりやすいメッセージ」を考えて、こう説明したのです。「お前の『面積』はこれだけだぞ。この面積の中でどれくらいモノをつくるか、あるいはこの面積をどれくらい減らすか、お前たちが減らしたら減らした分だけ認めてやる」とね。

 すると、要らんものを床に置いておくと自分が損をしますから、「死んでいるスペース」を空けるためにどんどん捨て出しましたよ(笑)。床に置いてあるだけで、いつ使うかわからないものを捨てないと、現場は改善しません。当時、膨大な量の「ゴミ」を捨てました。

 そうすると、現場の床面がきれいに見えるようになるわけです。床面がきれいに見えるようになると異常がすぐにわかるようになります。何かが滞留するとか、本来そこにあってはいけないものがすぐにわかって、現場の異常が一目でつかめるのです。

 「在庫を削減しろ」とか「原材料を少なくしろ」といった、ありきたりの表現ではなくて、現場に則して具体的に方針を打ち出したわけですね。

 現場の力を引き出すためには、とにかくわかりやすい言葉で簡潔に説明する。制御盤をつくっている班長も、「床面積を半分にしながら何面つくる」ということは実感的にわかるんです。そうして彼らが自発的にやり始めることが、我々の目指すこととピタリ一致する、というわけです。

 その後に、野間口有社長が「在庫削減」の方針を出されるわけですね。先行したようですね。

 いえ、先行なんて偉そうなことは言えません。全社で「棚卸資産残高削減」を始めるのと、ほぼ同時期でした。ほんのちょっと前で、タイミングが合っただけです。

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