ビジネスエコシステムを統べる者がグローバルを制する

メタナショナル時代のグローバル戦略とは何か<1>

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 グローバリズムとナショナリズム、あるいは資本主義と社会主義など、本来相矛盾するイデオロギーにもかかわらず、現実には併存しています。

 グローバル経営は、日本企業が直面している課題の中で最も重要性の高いものです。それは、このところ海外進出を推し進めている内需依存型企業のみならず、戦後いち早く国際化を進めてきた企業にとっても同じです。これまでグローバル経営の課題というと、主にグローバル製品戦略であり、それに対応する組織構造のあり方でした。前者は、本国で開発した製品を各国市場でいかに横展開するか、あるいは現地市場のニーズに合わせた製品を開発し投入するか、という問題です。後者は、各国市場に対応するに当たり、技術開発や品質管理の権限を本社に集中すべきか、または現地子会社に委譲すべきか、というものです。

 ところが、ここに新しい現実が登場します。まず、PCや液晶テレビに代表されるように、製品アーキテクチャー(製品の基本構造)がモジュラー化(構成要素の規格化)されたことで、組み立てのコストが大幅に低下すると同時に、グローバル製品とローカル製品との差異はほとんどなくなりました。iPhoneがその典型です。アップルは、その組み立てをフォックスコン・グループ(鴻海(ホンハイ)科技集団)に委託し、大量生産していますが、製品の基本仕様はグローバルに共通であり、ほとんどの国の言語が組み込まれています。

 組織構造にしても、インターネットとデジタル技術のおかげでコミュニケーションが向上したことで、本社と現地との間で市場や顧客に関する情報共有がいっそう深まり、本社への中央集権化か、現地への権限委譲かという組織の問題も、かつてはシンク・グローバル・アクト・ローカル、すなわちグローカリゼーションが叫ばれ、その後にはトランスナショナルが志向されましたが、現在ではかつてほど悩ましいものではなくなりました。

 グローバル経営のあり方については、「マルチナショナル」「グローカリゼーション」「トランスナショナル」など、さまざまに提唱されてきました(下図表「グローバル経営の定義は“複数形”」を参照)。

 こうした伝統的な国際経営論は影を潜め、いまは移行期といえます。21世紀に入ってから、たとえば「メタナショナル」という考え方が注目されています。メタナショナルとは、本国だけの知識や技術だけに頼るのではなく、世界に散らばる拠点から各地域のさまざまな知識やアイデア、知見を収集し、これらを組み合わせてイノベーションや新製品を生み出し、持続的優位を確立するという考え方です。

 以前は、グローバル経営における典型的な障害といえば、国や地域によって市場特性や顧客ニーズ、商慣行が異なっていることでしたが、ハーバード・ビジネス・スクール教授の故セオドア・レビットが予言したように(注1)、各国のニーズやウオンツは「均質化」に向かっています。これは、インターネットや新興国の台頭によって加速され、その結果、文字通り“グローバル市場”という、一つの巨大市場が形づくられました。もちろん、これはマクロ的な視点であって、ミクロで見れば、地域性や個別性の高い市場がさまざまに遍在しています。

注1)
Theodore Levitt, “The Globalization of Markets,” Harvard Business Review, May–June 1983.(邦訳「地球市場は同質化に向かう」『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス』1983年9-10月号)を参照。

 さて、このグローバル市場において競争力を獲得・維持するには、「規模の経済」をグローバルに働かせること、そして「比較優位を有する製品」を開発することが不可欠となります。これまで比較優位の源泉といえば、製品開発力やイノベーション、生産技術、低コストの労働力や立地などでした。しかし現在、製品開発力やイノベーション以外の要因――中国が「世界の工場」といわれるように、新興国の台頭をもたらしました――は、早晩比較優位の源泉ではなくなるでしょう。

 

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