【信越化学工業】
少数精鋭の徹底で世界一を実現
金川経営の真髄 <1>

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少数精鋭を徹底するため
新規採用を一気にゼロへ

 シンテックで培った合理的な経営は、信越化学でどのように活かされたのですか。

 私がシンテックの社長だった1982年、当時の小田切新太郎社長から国内塩ビ事業の立て直しを依頼され、塩ビ事業本部長も兼務することになりました。その際に合理的な経営を徹底的に行いました。

 まずは原材料などの製造コストを抑える必要がありました。この頃、信越化学の塩ビ生産を行っていた鹿島工場では、契約により高価な塩素を原材料として使わざるをえない状況にありました。コンビナート関係各社と契約の改定に向けて粘り強く交渉を行い、何とか合意していただきました。さらに運賃の合理化や輸入原料を導入するなどさまざまな取り組みを行ったことで、最終的には製造コストを大きく下げることができました。

 また、製造コストの削減を進めるとともに、需要家との信頼関係の強化にも取り組みました。当社が深く取引を行うべき需要家をあらためて検討し、特定の需要家には徹底的に尽くして長期関係を築くという、言わば営業的な選択と集中を行いました。

 一方で、工場閉鎖にも踏み込みました。生産能力が小さかった山口県内の工場を一人も解雇せずに閉鎖し、生産拠点を鹿島工場に統合したのです。

 こうした取り組みに対し、さまざまな反対意見がありました。しかし、当時の小田切社長が盾になって私をかばってくれたおかげで、再建に着手してから1年半後には黒字転換し立て直すことができました。

 その後、金川さんが社長に就任し、全社的な改革の陣頭指揮を執ることになります。

 私が社長に就任した頃の信越化学は、官僚主義的な意識が蔓延していました。陋習(ろうしゅう)に囚われて組織運営が硬直化し、非効率な慣習がはびこる大企業病に陥っていました。その結果、シンテックと比べると経営効率ではかなり遅れていました。

 本来、一気に変革すべきなのですが、長い歴史を持つ会社ゆえ、急激な変化を求めると大きな反発が起きかねません。それで変革が止まってしまっては元も子もありませんから、現状を頭から否定することはせず、時間をかけて変えていく決心をしました。

 まず手をつけたのは新規採用の抑制です。私が社長に就任する前は年に600人ほど新規採用していたのですが、思い切ってほぼゼロにしました。

 それまでは各部門が横並び意識で他部門並みの数の新卒社員を求めていました。仕事がないのにどうやって定年まで雇用するつもりなのか不思議でなりませんでした。人を採用するのであれば、まずは人を必要とする新規事業を立ち上げるべきでしょう。そしていったん採用した人は大事に処遇することが基本だと思います。

 新規採用をゼロにするというのは荒療治にも思えますが、社内の反発は相当に大きかったのでは。

 いろいろな意見はありました。しかし、彼らに対して「仕事もないのになぜ毎年大量の社員を採用する必要があるのか」と尋ねると、誰一人明確に答えられる人はいませんでした。要するに「定期採用だから続けていた」というだけなんです。

 こんな非合理な採用は、シンテックでは考えられないことです。シンテックの社員はすべて私が採用しましたから、無駄に採用した人は一人もいません。それゆえ業績を理由にした社員の解雇はただの一度も行ったことはありません。

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