【ブリヂストン】 ナンバーワン志向を受け継いだ「断トツ」経営津谷流 グローバル経営の本質 <1>

【ブリヂストン】
ナンバーワン志向を受け継いだ「断トツ」経営
津谷流 グローバル経営の本質 <1>

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トップスリー入りを目指した
ファイアストン買収で苦戦

 ブリヂストンが世界トップになったのはグローバル展開を着実に進めてきたことが大きいと思います。現在、世界26カ国に160以上の生産拠点、16のR&D拠点を持ち、14万5000人の従業員が150を超える国々で事業を進めていますが、グローバルネットワークを築くうえで、エポックとなった時期、出来事は何でしょうか。

 それは1988年のファイアストンの買収ですね。1983年にファイアストンのテネシー州ナッシュビルの工場を買収して、アメリカでの生産拠点としました。次のステップとして、ファイアストンとの合弁事業を考えていました。そこに、イタリアのピレリが敵対的買収でファイアストンを傘下に収めようと動いた。買収が成功した暁には、ファイアストンの南米事業とアメリカのタイヤ販売・自動車サービス事業をミシュランに転売する計画でした。

 私も合弁事業を検討するチームに入っていましたが、当時、M&Aの経験もノウハウも限られていました。いまにして思えばもっと違うやり方があったかもしれませんが、ファイアストン株の公開買い付けで、ピレリが1株58ドルを提示しており、一発で決着をつけたいという思いから、我々は80ドルを提案し、結局、ピレリは断念しました。本来、合弁事業でと考えていたものが、目論見が大きく違って、買収という形になりました。

 当時、ジョイントベンチャーで事業を進めるケースが多かったように思います。合弁事業と買収では大きく違いますね。買収額は約3300億円(26億ドル)で、日本企業による海外メーカーの買収として、当時、最大の案件でした。

 当時、ブリヂストン単体の売上高が約5600億円で、その半分を超える買収額なので背水の陣で臨み、第二の創業と位置付けました。買わないという選択はありませんでしたね。ブリヂストンはキャッシュを持っており、業績、財務内容もよく、狙われる側、買収される対象になっていたのです。

 自分たちの傘下に入らないかというお誘いが現にありました。石橋を叩いて渡らないといわれていましたが、何かしなければいけないという危機感を持っていました。

 1986年にはグッドイヤーが投資家グループから敵対的買収を仕掛けられ、株式の11%を取得されましたが、買収防衛のために子会社の売却や工場閉鎖などの大規模なリストラを行い、乗っ取りを回避しています。他人事ではなく、そういう時代に生きているのだという思いがありました。

 ファイアストンの買収は戦略的に間違いではなかったが、高額な買収価格がいけなかったということですね。

 経験が少なかったので、一挙に価格を上げてしまいました。ファイアストンは、買収した時までに工場閉鎖や人員整理などの大手術をみずからの手でしていましたから、もう問題はないだろうと考えていたのですが、大きな誤算でした。

 北米、南米、ヨーロッパ、アフリカなどに持っていた工場が老朽化しており稼働率も悪く、追加投資に3年間で15億ドルを投入しました。1993年には米州事業が単年度黒字化しましたが、ブリヂストングループ全体に利益貢献するにはほど遠い状態でした。

 日本の優良企業がアメリカ市場で大きな利益を上げていると見聞きするにつけ、ファイアストンのそこそこの利益に落胆せざるをえませんでした。欧米と日本の企業文化、経営に対する考え方、意思決定に違いがあり、コミュニケーションがうまくいかない。ファイアストンのCEOの権限は大きく、ブリヂストン本社と意思疎通を取れない状態が続いても、ファイアストンのCEOを交代させられませんでした。

 米州事業だけの利益ではなく、グローバルな視点で経営を考えてほしかったのですが、ファイアストンは独立国のような存在でしたね。名門意識が強く、自己主張し、プライドや自信から日本人に口出しさせない雰囲気がありました。

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