企業理念の実践で、自走的成長構造を構築

AI時代に価値を生み出す
「共鳴するマネジメント」【前編】

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前社長から託された
経営のバトン

 山田さんはヘルスケア畑が長く、2010年に本社に呼び戻される前はオムロンヘルスケアの社長でした。本社ではグループ戦略室長として、長期経営計画の策定を前社長の作田久男さんから指示されました。当時、オムロンの状況をどのようにとらえていましたか。

 私は1984年にオムロンに入社以来、ずっとヘルスケアビジネス一筋でした。本社に「戻って来い」と言われた時には、すでに籍は分社したオムロンヘルスケアに移っており、オムロンにはなかったのです。
 当時はまだリーマンショックの傷跡も残っていて、危機的な状況は乗り越えつつあったものの、停滞感がありました。オムロンは、かつて世界初のシステムや商品を連発していた躍動感のある企業で、「大型ベンチャー」ともいわれた時代がありましたが、その後は「いい会社だけど、あまりエキサイティングじゃない」という評価になっていました。それをもう一度、躍動感のある企業に変えていきたいという思いが当時の経営陣にあって、私を中心に若手のチームで10年間の長期ビジョンをつくれ、となったのです。
 でも、私はヘルスケアの事業しか知りません。そこで「なぜ私なのですか」と尋ねると、作田社長に「お前いくつだ」と聞かれました。「今年48歳になります」と答えると、「10年後もお前は、この会社がある限り、オムロンにいるだろう」と言い、こう続けました。
  「10年長期ビジョンというのは、つくって誰かに渡して、ハイ終わり、じゃない。ビジョンが成就するのか、頓挫するのか、策定の責任者が結末を見届けるべき。その切迫感、リアリティが必要なんだ。だから君を中心に10年後もオムロンにいるであろう人たちとチームを組んで、長期ビジョンをつくってくれ」と。それが「VG(Value Generation)2020(注3)」となりました。

(注3)10年ビジョン「VG2020」は、3つの中期経営計画で構成。「GLOBE STAGE」(2011〜2013年度)、「EARTH-1 STAGE」(2014〜2016年度)、「VG2.0」(2017〜2020年度)。

 

 中長期でグローバルかつダイバーシティに会社が成長していくと、遠心力と求心力のバランスをどう取るかが大事ですが、山田さんはその中核に企業理念を置かれましたね。

 そうです。長期ビジョン「VG2020」の「VG」には3つの思いを込めました。
 1つ目は、この10年はまさに「Value Generation=価値の時代」になること。いかに社会に対して価値を創出できるかが問われる時代になる──そういう時代観を強烈に意識しました。企業は、規模の大小、歴史の長短、キャッシュの多寡などに関係なく、世の中にいかに新しい価値を創出できるかが問われるという認識です。
 2つ目は、オムロンは「よりよい社会をつくる」「事業を通じて社会の発展に貢献する」という企業の公器性を強く意識した企業理念を持っている会社なので、我々こそが「Generate Value=価値を創出する」という宣言を込めました。
 3つ目は、「遺伝子=Gene」をかけました。オムロンのDNAは、創業者・立石一真が起こしたベンチャー精神です。技術を核に世の中に革新を起こしていくことを遺伝子として持っている。特に「センシング&コントロール+Think」を技術のコアとして、そこを中心に新しいオートメーションにチャレンジする思いを込めて、求心力の原点を企業理念にしようと思ったわけです。

 

 計画を策定した翌年、山田さんは社長に指名され、「プランはお飾りじゃない。血となり肉となったものに仕上げてほしい」とバトンタッチされました。しかし、戦略室長として経営計画をつくることと、社長として経営を担うことは、双肩にかかる重みがまったく違います。準備はできていたのですか。

 経営に関しては、実は3回目の社長です。オムロンヘルスケア・ヨーロッパの社長を40歳台前半で経験して、日本に戻ってからはオムロンヘルスケアの社長を2008年から2年間やり、リーマンショックも体験しました。そして2010年に本社に戻されました。
 社長ということでは、もちろん規模の大きさや重要度は違うのですが、チームを率いて会社を前に進めることに関しては、ある程度経験があったわけです。自分としては、チームをつくって多様な意見を引き出し、全員が納得して共感・共鳴できるまで議論をし、力を合わせるという、同じスタイルを今回もやろうと思いました。

 

 とはいえ、49歳の若さで、しかもいきなりグループ全体のCEOです。相当な覚悟が必要だったと思いますが。

 その時は、覚悟というか、もうやるしかないなと(笑)。当時、25人くらい執行役員がいましたが、私は2番目の若さ。ただ、作田前社長が50歳前後の執行役員を10人程度まで増やしてくれていましたので、彼らを中心にチームビルディングから始めました。

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