【帝人】赤字と黒字を繰り返した不安定経営から脱却

長期的視点で種を蒔きイノベーションを加速〈1〉

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 帝人の苦しい時代は、いつだったのですか。
 大きく言うと、苦境を2度経験しています。1度目は第二次大戦後、レーヨン事業だけでは立ち行かなくなった時で、やむにやまれず激変の渦に投げ込まれました。その後、ポリエステルを導入してうまくいったのは1950年代です。2度目はオイルショックの時です。私が帝人に入社した1983年は、繊維産業がまだ構造不況業種という指定を受けており、株価も200円を切っていた、そのような時代でした。

 2008年のリーマンショック後も、苦しい時代だったのでしょうか。
 リーマンショック前、帝人では素材系の事業の調子がよかった。CDやDVDの素材であるポリカーボネート樹脂、液晶テレビなどに使われるポリエステルフィルムが絶好調で、2007年3月期には過去最高の751億円の営業利益を上げていました。
 それが、当初アメリカでの住宅ローンの焦げ付きだろうと軽く受け止めていたところから、結局多くの製造業が止まったような状態になったのです。未曽有と言うと大げさですが、厳しい時代でしたね。予測していなかったことでもあり、当時の経営陣は怖かっただろうなと思います。
 リーマンショック後には、需要の停滞と新興国の台頭というダブルのショックに直面しました。見誤ったと反省しているのは新興国のキャッチアップのスピードで、まだまだだろうと思っていました。需要が落ちたところに、設備投資を積極的に進めていた新興国の工場が稼働し始め、我々の市場を奪っていきました。

 2009年3月期から、最終損益が赤字と黒字を繰り返し、下方修正も相次ぎました。そんな中、2014年4月に社長に就任されたわけですが、どのような心境でしたか。
 2009年、2010年がリーマンショックによる赤字。その後、いったん黒字に回復しましたが、2013年には減損処理で落ち込み、少し戻ったところで、引き継いだということになります。私は、社長に就任する前年から、もう一段大きい構造改革をきちんとやらなければ、我々は生きていけないという危機感を持っていました。その時は取締役でしたから、ほとんどすべての経営会議に参加していました。
 たとえば、ポリエステル繊維事業は不振でしたが、国内工場の生産を一部残すなど中途半端な対応をしていました。ポリエステル繊維とポリエステルフィルムは原料が同じで、一つの事業として考えないといけないのに、バラバラに事業を展開し、部分最適に陥っていました。こうした状況を打開すべく、ポリエステル繊維の生産体制を抜本的に改革するなどの決断をしました。

写真を拡大 【図表1】ジェットコースターのようにアップダウンを繰り返した帝人の純利益

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